どうぞ特別なひとときを 第五話

朝。少し遠くから蝉の鳴き声、それから子ども達の笑い声。
クーラーの効いたこのワンルームは年中変わらない快適さだけれど、それでも私は今日もうんざりする暑さに違いない、外に出るための準備をする。
長い髪を両手に取って、くるりと巻いてうなじを晒す。
ヘアカラーを明るくした事に彼はきっと気が付かないけれど、新しいピアスは褒めてくれるかもしれない。
なんせ、私の意固地にいつも気が付くやつなのだから。
一昨日の仕事帰りに買った、刺繍が可愛いふわりと広がるワンピース。
少し前だと買うだけで着ていく場所も勇気もなくクローゼットにかかったままになっていた服も、似合うと言って照れ笑う、あの顔を想像すれば自然とすぐに出番となった。

「おはようござ……ワンピース! わー、えー可愛いー!」

待ち合わせの時間より随分と早く着きすぎる彼に合わせて15分早く到着したのに、やっぱり彼はもうそこに居て、開口一番やっぱりワンピースを褒めてみせる。
想像よりも女子のような褒め方に面食らって、思わずそうだろうと可愛げのない返しをしてしまったけれど、彼は気にする事なくキャッキャとはしゃいでいる。

「暑いでしょ、こんなに早く来なくていいのに」
「ボクもそう思うんだけど、遠足の日ってつい早起きしすぎちゃって」
「もういい大人なんだからコントロール出来るでしょ」

えー、と習性を改めるつもりのない返事をする彼は、まだどこにも出掛けてすらいないのに既に汗だくだ。
日焼けしにくいタイプのようで、早くも頬の赤みが濃さを増している。
そろそろ待ち合わせ場所を屋内に変えようと提案しながら私たちは歩き始めた。
ゆっくり、この時間を噛みしめるように。

あのレストランでの夜は、私と彼の毎日を変えた。
暴走としか言えない私の告白を優しく受け入れてくれた彼は、ボクも同じだ、と私に言った。
ついついおどけてしまうところ、真面目な話が苦手なところ、カッコつけたいけれどスマートにカッコよくは気恥ずかしくて実践できないところ。
そんな自分の一面を少しずつでいいから私に知って欲しいところ。
つまりは私と同じなのだとたどたどしく語った彼と、どう食事を終えたのかは覚えていない。
店を出たあと、見送る店員が「良い日常を」と呟いたのがやけに心に残っている。

好きと直接言葉にする事はなく、付き合おうとも言いあえていない。
あの夜の別れ際に交わした、次の週末の約束を毎週繰り返しているだけの私たちは、きっとお互い同じ気持ちでいるんだろうけれど踏み出すキッカケ探しが下手なままだ。
せめて今が冬ならよかった。
そうすれば手を繋ぐ言い訳くらいは出来ただろうに。
そんな事を考えながら、今日も彼の隣を歩く。

きっと簡単に人は変わりはしないけれど、何かを変えるのはほんの些細な一言で。
ちょっとだけ変化のあった私たちの関係も、ただ一言で再び姿を変えるのだろう。
どこへ行こうと嬉し気な様子を隠せもせずに私を見つめる彼の笑顔に、もう伝えちゃおうかな、と逸る気持ちをこの胸に感じていた。

End.

どうぞ特別なひとときを。

【フリーマガジンmug vol.5 掲載】

               
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